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俳句集

2016年2月の句

節分

選者 桐本石見

豆撒きの思い出父の逃げる鬼

しま

節分は年に四回あるが立春の前夜の二月三日頃のが春を待つ思いから一番盛大に行われるし、日本では平安時代から宮中で始り江戸時代に一般化して今では観光商業的思いから有名人を迎えて賑やかに行う神社もある。家庭では父が鬼になって子供が豆を撒いたりする、その思い出の詠で私も山国の里が懐かしく戦死の父や祖父を思う句です。

豆撒きや鬼の役目はいつも俺

こば

 家庭でも会社でも華やかな芸人の舞台でも裏方は必要でむしろ裏方の方が人数も多い。豆撒きの鬼は豆に当たって痛いかもしれないがその演技が子や観客を喜ばせ場を盛り上げる。俳諧の少しの哀れを込めた句です。

節分の豆が幼児の手をこぼる

おの

 節分の豆撒きは追儺とも言い室町時代は桃の枝で行った、また豆は生命力から魔目、豆に通じ魔を滅する意から豆を撒く様になったとも。幼児が兄や親に真似て豆撒きをしたいが小さな手から零れたのだ、微笑ましく可愛い景を彷彿する句です。

福は内豆をつまみに鬼ころし

シゲ

「鬼ころし」は酒の銘で超辛口と言はれ、昔は鬼も飲まない程の不味い酒だったが酒蔵がその名を逆手に辛口の酒に改良し今では秋田、新潟、茨城、島根県などにあり、石見神楽の私の里にも石見鬼ころしがある。豆撒きの豆での祝い酒かも。面白い句です。

列島に居場所無き日ぞ鬼やらひ

ゆたか

 鬼やらひは季節の変わり目の邪気を祓う意から古来から各地で行なう、神仏に祈るしか頼る物のなかった時代の名残りでもある。鬼は必ずしも恐ろしく悪者ばかりではないが節分の夜は日本列島から追放される、これも又人の世の面白さでもあろう。俳諧の句です。

センター長豆撒きやらふ護国院

ひろ

 降魔山護国院は鹿嶋市にある寺で七0六年に鹿島神宮内に創建一六七四年今の地に移設、真言宗智山派で本尊は成田山新勝寺の不動明王と兄弟仏。その寺でセンター長が鬼やらいの行事に参加されたのだ、厳かな思いの句です。

豆撒きの鬼が近づき子の号泣

しず

テレビで「なまはげ」などに大泣きする幼子を見かけますが子は本能的に暗がりや鬼など怖いと思う、産声も大きいのが元気の証でもあると言はれる。「ごうきゅう」に少し可哀相な思いの句です。

鬼やらひ豆目に当たり母怒る

もと

子供の豆撒きの手がそれたのか、それとも子達が面白がってはしゃいで豆が目に当ったのかも。元気な子供の声が彷彿せる句で明るい家庭を思う。

豆撒きの残りし豆は鳥の餌さ

みく

家庭で撒く豆は、後の部屋掃除に困るので、少しにして外に多く撒くが、それでも残る。食べるのも子供は多いが、大人は儀礼ほど。次の朝庭などに撒いてやると小鳥の餌さになる。実感の句です。

豆撒くや隣り気にして声小さく

オノ

以前にピアノ殺人事件などあったが、都会や団地などでは隣人の声や楽器の音も時には騒音となる、近代文明は飛行機、電車、自動車など発明するが利便と共に騒音もある、豆撒きも隣りを気にする。実感の俳諧の句です。

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