2016年1月の句
初日
富士山のダイヤの光り初日の出
コバ
ダイヤモンド富士は朝と夕方で見れますが関東からは夕方が多い、近くでは潮来市牛堀の権現山公園から天候に恵まれると見れる。またこの詠の初日は山梨県身延町などから見れる。富士山頂と太陽が重なる僅かな時の光りはダイヤの光りに似て美しい。
五郎丸ポーズで祈る初詣
シゲ
五郎丸はラグビーの選手で、ことにキック時の祈りのポーズが独特で人気がある。神社は二礼二拍一礼が一般的だが五郎丸ポーズで祈ったのだ、現代的で面白くユニークな明るい句です。
初日射す波の此方の鹿島灘
ゆたか
鹿島灘は神栖市から大洗町までの約八十キロに及ぶ海岸で鹿島港が出来るまでは青松白砂の浜が続いた。また親潮、黒潮の境目でもあり靄の立つのが多いが沖は秋刀魚、平目などの漁業の海でもある。初日は岬や山などから迎えるのも良いが足元まで波立つ灘からの眺めも広々として厳かに実感の句です。
寒に入る無力と言える悟りかな
ゆたか
悟りは仏語で真理を知る、覚悟などの意味があり、僧が山に籠り悟りを開くなどに言うが俗人も日々の生活の中でその思いになる。ことに自然現象の暑さ寒さや台風、地震などにも人間として逆らえ切れない事を知る。寒の寒さも同じで逆らうよりそれに従って生きるのも人の智慧、悟りかも知れません。しみじみした句です。
酒断って希望を持ちぬ初日かな
もと
人類は酒や薬や博打など楽しみを作るがそれに溺れる事も多い、酒は人類始からあるがどれだけ苦楽を生んだことであろう。その酒を断って初日に今年の希望を誓う切実でまた明るい思いの句でもあります。
初日浴び叫ぶ娘の名は波に消ゆ
ブー
初日を見るのは浜や岬などありますが犬吠埼などはことに有名、そこに立って好きな娘の名を叫ぶのはロマンもあります。しかし波音に消されるのは淋しい、私もそんな青春時代が懐かしい句でもあります。
運幸を初日に願ふ今年かな
あべ
人類の生活には神仏への祈りや願いが古来からあり、それだけ生きることに苦労を要することでもあります。努力研鑽して人智の及ばぬ極みは神仏に頼むわけで運も幸も初日に願う少しの哀れを籠めた句でもあります。神仏とは偉人や山、川、海、木、太陽などでもあります。
猿達も初日見ながら露天風呂
ひろ
テレビなどでも猿達が温泉に浸かる報道をみますが、実に微笑ましい、ここは長野県地獄谷野猿公苑で世界でも珍しいとのことで、今から約五十年前からとか。山からの初日に猿も新年を祝うことであろう。
楽しみの申年生れ初日待つ
ケン
十二支は中国で紀元前二百年頃制定され日本には六世紀半ば頃伝わる、年、月、時刻、方向などを表す。江戸時代には民間にも浸透し、例えば申の刻は十五時から十七時、方向は西南微北など。自分の干支年で何か良い事でもと初日を待つ。希望の句でもあります。