2021年10月の句
柿
軒先に吊るすや祖母の柿すだれ
ラク
干柿を吊るす縁側夕日色
しま
柿は鎌倉時代に突然変異で甘柿が発見される迄は全て渋柿で、渋抜きか干柿にして食べた。農家などでは縁側の軒に簾の様に干した、今では皮むき機もあるが昔は祖母や母の手仕事でもあった、吊るした初めは日の色だが夕日色に染まるのも里の秋を思う句。
生前に母植えし柿仏前に
オノ
諺に桃栗三年柿八年があるが、今では子の誕生や卒業記念、新築祝いなどに植える。今は柿も育ち実も生る、その柿を母の仏前に供えると言うのも年月を思い母の恩も知るしみじみした句です。
柿の木に「登っちゃだめ」と幼き日
れいこ
男の子は柿が熟れる頃になると登って食べたりもしてそれが男児の自慢の一つでもあった、女の子はオテンバに見えたり、また柿の木は案外に折れ易いので注意されたのかも。元気な子の日を彷彿し懐かしい句。
故郷へ走る車窓に柿の彩
ラク
故郷の干柿カーテン懐かしき
めい
「里古りて柿の木持たぬ家もなし」松尾芭蕉の句があり田舎ではどこの家にも柿の木があった、今でも秋の山旅の景の一つで車窓からの柿の色は心に滲みる、また家の近くの道からの干柿の日の色も懐かしい句。
柿食ぶや人生もまた渋かりき
ハリ
田舎の道辺などで柿が熟れて旨そうなので一つ失敬して食べるが案外に渋柿だったりする。思えば人生も甘味な事には落し穴もある。俳諧の哀れも込めた句。
庭の柿今日かいやまだ明日かな
えび
我が家にも柿や桃が植えてあり毎年熟れる頃になると色合いを見て食べるが、味は日毎に異なる。また桃などは待ち過ぎると虫や鳥に先を越されて食べられる。熟れるのを待つのも楽しい実感の句です。
八年の時節想わす一つ柿
トラマル
桃栗三年柿八年梅はすいすい十三年柚子の大馬鹿十八年林檎ニコニコ二十五年 銀杏の気違い三十年など謂われるが、何 事も一朝一夕には成らず努力の多少に因 る例えでもある。やっと生った柿に自分 の今を顧みる句かも。
手に届く柿の一つを幸とせむ
のん
柿食べし美味き顔にて笑おうか
ニモ
農園などの柿は樹高を調節して採り易くするが、それでも高いのは採り難い、やっと手の届く実には嬉しさもあるし、柿色と言う明るさに心和み一時の幸せを思う。また食べた後の美味さの顔で笑い合うのも俳諧の楽しい句。
静けさに囲む生垣柿たわわ
ユタカ
柿は縄文時代からあり今では千種もあると言われるが田舎の大きな家の生垣の中にたわわに生る柿を見ると「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規の句など思い奈良の旅など彷彿するしみじみした 句です。