2019年8月の句
墓参り
墓参り なかなか行けずお父さん
チャコ
庶民が墓を持つ様になったのは江戸時代中頃と言われ、それ までは村外れなどに土葬したとも、また地位の高い人は仁徳天 皇陵の様に巨大なのもあり、縄文時代から死者を弔う習慣が あったと言われる。今では盆には多くの人が夏休みを兼ねて墓 参りをするが、夫々の事情で帰れない人もある。単純な句なが ら切哀の句です。
亡き母の 面影宿る盆の月
オギ
昔は月に兎など連想しましたが、盆の頃の月には灯籠の灯 に思いを重ねて亡父母など想うし、異郷に住むと余計に故郷 も懐かしい。月は四季に趣きがありますが、盆の月は格別に 郷愁を誘います。しみじみした佳句です。
終着駅 そこより先の墓参り
あべ
終着駅は都会にもありますが、この詠には田舎の駅を彷彿 します。新幹線、在来線を乗り継ぎ帰省するが、まだ車など で行かないと故郷に着かない。私の里の島根県もそうした集 落が多く、如何にも田舎に帰省した思いになります。実感と 共に山里や海の里を懐かしむ句です。
墓見せに子連れ孫連れ古里へ
あべ
今では田舎も共同墓地が多いが、昔は家毎 に墓地があった。その田舎を出て都会で定年 を迎えたりすると、孫にも田舎や墓も見せた いと帰省する。集団就職した頃を思い、また 歳月を顧みる句です。
今は亡き我が子を思ふ墓参かな
アオ
仏語に逆縁があり、本来は精進して仏縁に なるが悪事をして仏縁に早く繫がることを言 う。また老いた者から死ぬのが自然の道理だ が、子が先に亡くなることも多い。新聞など でも子供の事故が報道されるが切ない。
塀の中行くに行かれぬ墓参り
キラ
この塀は刑務所の塀かも。人間は万物の霊 長と言われるが、人間社会の中に戦争や犯罪、 そして刑があるのは哀しいことです。それ故 宗教や聖書もありますが、この詠もまた悲し く人間とは何かと思う句です。
親不孝詫びる思いの墓参り
ヨイチ
「何時までもあると思うな親と金」の謂れが ありますが、作者も年を重ね亡くなった親に 若い日の過ちを詫びる気持ちになった、それだけでも快方へ向かう顕れかも。泉下(せんか、 ※ あの世)の親も喜ばれる思いの句です。
新しき生き方告ぐる墓参り
シゲ
御父母の墓参か。今まで苦労や心配を掛けた が、ようやくに新しい健全な生き方を見付け た、墓参りをしてその決心を告げる。研鑽を祈 る句でもあります。
一度は行きたし里の墓参り
パロパロ
僧、月性の詩に「男児志を立て郷関を出づ … 人間(じんかん)到る処青山あり … 」があ りますが、現代社会に於いても故郷へは帰れ ない人が多い。しかし一度は墓参りをし、故 郷も見たい … 。切実な実感の句です。 ※ 月性(げっしょう):幕末の勤皇僧。周防国(山 口県)の遠崎村、妙園寺の住職。
父いまだ帰らざる沖胡瓜馬
ゆたか
盆には精霊馬(しょうりょううま)と言う 胡瓜(きゅうり)や茄子(なす)を供えるが、 胡瓜馬は走るのが早く精霊に早く来て欲しい 意図、茄子馬は遅いのでゆっくり帰って欲し い思い。作者の父は戦死と聞くが、まだ遺骨 が帰らないのかも。鹿島灘の沖を眺めながら、 胡瓜馬に父恋の思いを託す句です。