2017年12月の句
年の瀬
年の瀬や我関せずと子等遊ぶ
ひろ
幼稚園か小学生も三年生くらいまでは、大人には多忙な年の瀬も自由に遊べる。しかし今では習い事や受験などあり昔の様に公園で遊ぶ子供も少ない。私も小学四年生の頃は竹馬、竹のスキー作りに夢中になったのが懐かしく、今の子には可哀想な思いもする句です。
年の瀬や市場の競りも活気づく
みく
魚市や青果市場は休日以外は年中開かれるが、年末や新年は特別に活気づく。殊に魚市など早朝から品物毎に競りの声が勇ましい。私にも「初市の謡うが如き競りの声」があり、銚子の魚市を見たのが懐かしい句です。
年の瀬や別れし我が子いまいくつ
こば
人の幸せは古来から、博士か大臣か富豪など言われるが、平凡ながら昔の様に爺婆父母子供らが揃う暮らしが一番幸せかも知れない。今では離婚など多い時代でもあり、年の瀬の寒い日などに別れた子を思い、自分も老いの歳を重ねることに胸痛む切々の句です。
出歩きて無用の用や年の瀬に
ゆーみん
都会の繁華街では昼夜を問わず若者の人出が多く何の用事かと思うが、小林一茶にも「年の市何しに出たと人の言ふ」があり、普段一人で居ると用事が無くもふらりと賑わいの中に居たい思いになります。無用の用も俳諧の面白い表現の句。
年の瀬や心も部屋も大掃除
めい
大掃除は盆前にも行うが、年末は格別に新年を迎える思いで部屋の隅々や障子の貼り替えなども行う。その綺麗にした部屋に休むと心も清らかになるし、そう在りたいと願う切実の句でもあります。
年の瀬やテレビ見ながら顧る
とむ
年末になると新聞やテレビでも今年の出来事を報じる。今年は地震、台風、選挙など多い年であった。人夫々に思いの深い事は何だろうか。年の瀬の多忙の中にも自分を省みるは良い事で、実感の句です。
年の瀬や子供に会えぬ寂しさよ
まこ
盆正月には遠くの子供達も帰郷して、お節を食べながら四方山の話や孫の育ちを見るのが何よりの楽しみだが、夫々の事情で会えぬのは寂しい。親とは何か、と自問する句でもあります。
越年や数えたくなき老いの歳
おの
子供の頃や二十歳前は、早く大人の仲間に入り夢を叶えたい思いがありますが、定年など迎えたり老人会の仲間に入ると歳も数えたくない。若さにも老いにも夫々に味わいがありますが、若いのが夢もあり良い。少しの哀れも思う句です。
幾年や幼なき頃の餅搗を
あお
餅は年中あるが、俳句では冬の季語で正月用の餅。私の田舎でも朝から夕方まで餅搗(もちつき)をしたのが懐かしい。今では買うのが多いが、会社や幼稚園など年末に行う。その餅搗きも何年の昔か、幼い日を顧みてしみじみとした句です。