2016年8月の句
赤蜻蛉
赤とんぼ山の日暮れに母思ふ
まこ
子供が母を恋うのは人も動物も同じだが、人は大人になっても時に母を恋しく思う。里を遠くに暮らしたり、苦しい事があると猶更(なおさら)である。母にはそうした思いを包む優しさがある、最近は子の殺伐な事件も多く哀れを思い、また童謡を懐かしむ句でもあります。
飛びゆける赤蜻蛉には空があり
あべ
空を飛べるのは鳥を始め虫や蝶などいるが、赤蜻蛉(あかとんぼ)の飛ぶ空は高くはないが一抹の哀れを思う空でもあり親しみもあります。またそれは人には飛べない空で自分の日頃の生活を打破したい希望の空でもあります。蜻蛉への憧れと自責の句で哀れも思います。
目高の子目玉二つで泳ぎける
ゆたか
私は釣りで鯊(はぜ)やシラスなどの稚魚を見掛けますが、この詠の様に目だけで泳ぐ感じです。ことに目高(メダカ)は大きくなっても数センチなので実感です。俳諧の哀憐の一句で微笑ましい。
赤とんぼ利根の縄手に群れて飛ぶ
おの
赤蜻蛉には夏茜(なつあかね)の橙色と秋茜(あきあかね)の深紅のがいるが、利根の広い田の縄手道などに群れ飛ぶのは哀愁を誘う。童謡を思い、故郷を思い、子の日の友を懐かしむのも赤蜻蛉で実景の句です。
東京になつかし蜻蛉里思ふ
しげ
東京は世界に名だたる都会だが案外と公園など多い。皇居を始め上野、代々木、新宿御苑、向島百花園、小石川植物園、などで思わぬ蜻蛉などに遇う。また東京には地方からの人も多く、赤蜻蛉に出会うと里を懐かしく思う実感の句です。
秋茜薄の原によく似合ふ
こば
この鹿島・潮来・佐原は水郷とも言われ湖沼も多いが、蘆(あし)や薄(すすき)も多くそれが水郷の景でもあります。その薄の原に飛ぶ秋茜は一抹の淋しさを込めて風情があり、子の日をも思う。また筑波山の裾野のなどの薄原を彷彿する句でもあります。
朽ち杭の一本が好き赤とんぼ
ゆたか
池や川には水深の目安や魚獲りの仕掛けの杭などが立っていますが、いつの間にか風雨に朽ちているのが多い。その杭を自分の住処の様にして、飛んでもまた帰って来る。その赤蜻蛉が水に映るのも美しい句で、潮来の十二橋などを思います。
赤とんぼ帽子の上でひと休み
ひろ
蜻蛉はなぜか人を余り恐れないので他の昆虫より親しい。立ち止まると来て肩や帽子、釣り竿などにも止まる、また散歩などでしばらくは止まったままや付いて来るのもいる。実感の哀憐の句です。
秋茜遠きメールに恋ひ結ぶ
あお
原句は少し変えましたが、これで原句の思いの伝わる現代的な詠になります。中七を「遠き手紙に」でも良いですが、今はメールの時代なので遠距離の恋人同士を想像し、一句としました。