2014年10月の句
薄(すすき)
一叢や風とダンスの花薄
鬼
一叢は一株のことでもあり、花芒の株が風にゆるく強くゆれるのは少し離れて見ているとダンスを踊る様でもある。また薄の原などを吹く風には何か描く様にも見えます。何れにしても草や木、花にも心を通わすと詩や句も生まれます。現代的で面白い句です。
定まらぬ風の流れや薄原
ユタカ
この鹿島辺りでも大きな薄原は少なくなりましたが、それでも筑波山の裾野などに行くと薄野が広がる。夏は青く、初秋には薄赤い穂、冬には枯れ尾花となるが、そこを吹く風は東西南北、日に時に変わる。その風に吹かれながら薄野を眺めるのも風趣があり、風の行方に人生も重ねて思う句です。
危ないよ薄の葉はねと母言いし
しま
薄の葉の縁にはギザギザがありうかつに触れると手を切る。子供の頃には何度か経験したものである。母はそれを知っていて、月見の薄を取りに行くときなどは注意してくれた。「母言いし」にその母をも偲ぶ切たる句でもあります。
ふくろうに似たる姿や薄の穂
おの
薄の穂も赤い花の頃を過ぎて穂綿の頃になり風も無く夕暮に膨らんだ穂は、梟(ふくろう)が夜を待つ様でもあり面白い発想の句です。 近頃はホーホーと鳴く声も聞かないが故郷の夜を思います。
夕風と薄を供の散歩道
カート
まだ日暮れには間のある利根の堤防や鹿島神宮の裏道などは風に靡く薄を見ながらの散歩に良い。まだ昼は暑いが夕風に涼みながら花芒を愛でるのも散歩の醍醐味と思う句です。
すすきの穂とんぼの群れがゆらしてる
ひろ
薄の穂が出る頃は赤蜻蛉など群れ飛ぶ日も多い。風の無い時はことに群れて如何にも秋を思う。穂に付いたり離れたりもし薄が少しゆれる様でもある可憐な哀憐の句です。
夕づつや烏と帰る薄原
あべ
童謡にも烏(からす)の歌がありますが昼間に田や畑水辺に餌さを求めた烏などは夕方山の塒(ねぐら)に帰る、人も畑仕事や釣りなどを終えて夕べの薄原の道を帰る、一抹の淋しいさを宿して里を思う句です。
花すすき飾りてみたき月夜かな
いるか
原句は少し変えましたが、これで月の出に思わず花芒でも飾り供えたいほど綺麗な月の詠になります。月に芒は古来からですが、月に似合う草花です。今では飾る人も少なくなりました。