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俳句集

2018年10月の句

薩摩芋

選者 桐本石見

茨城の美味しき藷の紅はるか

ピノコ

薩摩芋はメキシコ原産で紀元前八百年頃から栽培され、日本へは十七世紀初めに中国、琉球、鹿児島を経て広まった。種類は外皮が黄と紅色があり、今では改良されて何十種もある。関東で名高いのは紅あずま、紅はるか。昔は農林六四号などと言ったが、今は可愛い名を付けて販売の宣伝をする。

子供等と分け合ひ食べし薩摩芋

アキラ

日本の薩摩芋は八代将軍吉宗の頃享保大飢饉があり、その時に救荒作物として青木昆陽等によって広められた。乾燥地、荒地また旱や台風などでも育った。戦後の食料難を救ったのも薩摩芋で、焼き藷を兄弟などで食べた昔を偲ぶ句です。

啄木も賢治も食べし薩摩芋

あべ

宮沢賢治は一八九六年生で三十七歳で没。その間、『銀河鉄道』や『雨ニモマケズ』など多くの詩を残した。石川啄木は一八八六年生で二十六歳で没。その間、『一握の砂』など多くの歌を残したが、共に若くして亡くなった。東北の貧しさを思う詩歌も多く、胸を打つ。薩摩芋を食べながら二人も食べたであろう昔を偲ぶ句です。

軽トラを見れば焼き藷思ふかな

ユウコ

焼き藷屋の屋台は一九五一年頃、東京向島の三野輪万蔵が発案し、ブームになったと言う。今では軽トラで各地を回るが、売り声と共に都会や団地の午後が懐かしい句。薩摩芋は焼くのが一番美味い。

薩摩芋半分を残し嫁昼寝

あべ

三時のおやつかも、大きな薩摩芋だったので、半分を残して昼寝したのだ。人は満腹になると眠くなる。私の子供の頃は秋には栗や薩摩芋を焼きながら、風呂焚きをしたのが懐かしい。

焼き藷を手にす熱きを我慢して

みく

俳句では焼き藷は冬の季語で、寒い中に食べる藷は格別に旨い。また熱いのも冬の御馳走と言うべきかも。今では焼き藷屋さんも見掛けないが、新聞紙や袋に伝わる温みも家までの手を暖める実感の句で、売り声も聞きたく思う。

お藷掘りあるよあるよと園児達

しま

今でも学校によっては田畑を持ち、米や薩摩芋を栽培する。また園児達は近くの農家に頼んで芋堀などする。勉学も大事だが、こうした野外の活動も子の心を育てる。賑やかな子の声を彷彿する句です。

ごろごろと機械掘り出す薩摩芋

ゆたか

日本では一九五十年頃から農業機械の輸入や改良が始まり、今では田植・稲刈り・脱穀まで出来るし、種蒔・芋堀も機械化された。稲作は弥生時代と言われるが、その間の耕し手植を思うと、気が遠くなる。また戦争の機器より開発が遅いのが悲しい。それらを思う句です。

秋風や小牧長久手古戦場

ゆたか

小牧長久手の戦いは羽柴秀吉と徳川家康の戦で、一五八四年三月から十一月まであり、名目は秀吉軍の勝利。その後小田原征伐など経て豊臣政権が確立する。秋風に靡(なび)く芒原に往時を偲ぶ句です。

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