2017年8月の句
お盆
松島の松の百態盆の月
あべ
日本三景の一つ松島は、二百六十余島の浮ぶ絶景の湾で俳聖芭蕉も尋ねている。しかし、句は無い。島々は四季に美しいが、初秋の月に島の松影の形も趣があります。「八十島のおぼろや酒も浦霞」が私にもあり、昔尋ねた松島が懐かしい句です。
親不孝詫びて涙に盆の墓
ふじ
自分の意思で生れた訳ではないが、自分の意思で生きてゆくのが人間だと言われる。そして生きて来た今が自分の姿でもあります。盆は死者への供養の日だが、生者の祝でもあります、盆の墓に詫びて明日の糧にしたい決意の句でもあります。地球や人類の歴史は億年、個人の生は百年、比べれば寸秒、ならば今を懸命に生きる事かも知れません。
故郷に揃ふ顔ぶれ盆休み
ひろ
時代や産業構造の変化で都会に働く人が多くなり、過疎化の進む現代だがそれでも盆正月には家族縁者が集まり、故郷の盆を楽しみ、また先祖の供養をする。昔は藪入りと言ったが、明治頃から盆休みと夏休みを兼ねて長期休暇を取る様になった。集団就職の頃の帰省や歌謡の「津軽海峡冬景色」など思う句です。
盆の月旦那と母に逢いたしや
まり
人には今までの生きてきた積み重ねの結果の悲喜交々の人生がある。盆の月を眺めながら年日を顧みて、つくづく主人や母に逢いたいと思う。日本列島が快晴なら月は何処でも見れますが、それを眺める人の思いは様々で、この句もまた胸に沁みます。
迎え盆提灯持ちて墓の道
みく
盆には精霊を迎えるのに道が暗いので家の門に迎火を焚いたり、墓まで迎えに行く地方もある。また盆前に墓や山の道を草刈りなどするが、盆路、精霊路とも言い、昔の里では個人で墓場を持ったので手伝いしたのも懐かしい句です。
お盆にも帰れず姉に任せきり
まこ
諸々の事情から普段も盆にも帰省出来なくて、里の盆の支度や老父母の世話も姉に頼み任せている。本来なら台所など手伝うのが姉妹の仲でもある。実感の切々した思いの句です。
お盆とて仮設住宅帰れない
こば
七年前の大地震では今だ仮設住宅の生活が続く。盆の帰省とて泊まる部屋もままならぬし、気兼ねもある。熊本地震などの現状と思い合わせて切実な句です。
激戦の水鉄砲や終戦日
くり
昭和二十年八月十五日ポツダム宣言を受託した日が終戦日。それから七十余年、今では世界に平和と経済を貢献出来る程に復興した。子供の水遊びの水鉄砲か、それを眺めながら平和の有難さと戦後の生きた年日を顧みる句で、私も遺児として諸々の思いがあります。
今は亡き母の笑顔や盆の月
れいこ
月は四季に配しても、また見る所によっても夫々の趣がありますが、盆の月には故郷や故人を偲ぶ想いが強い様に思えます。特別な事情で帰省出来ない人には亡母の笑顔に見えるかも。遠境や苦境に在ればなお更に母や故郷が恋しい切実の句です。
預かりし遺骨三柱盆供養
ゆたか
この遺骨は縁者か友人のか知れませんが、まだ墓も無く特別の事情で預かっている。盆になり、自分の家の仏と共に供養をする。私も先祖の遺骨を寺に預けた事がありますが、今は近くの墓に葬った。諸々の事情を想像して哀れを思う句です。