2017年6月の句
五月雨
五月雨や下校の子らの傘の花
ゆうこ
梅雨は時期の事を言い、五月雨は雨そのもので田植えの頃の雨でもあります。最近は傘も色とりどりの物があり、下校の子らの傘の花も微笑ましい。何時も見る景ながら、愛おしく思う句です。
宵の雨過ぎし朝顔市におり
あべ
俳句では朝顔市は初秋の季題で、ことに東京入谷の真源寺が鬼子母神と共に名高い。朝顔は奈良時代から漢方薬として育てられ、江戸時代に鑑賞用になり大正二年頃廃れたが、昭和二十三年に戦後の明るさを町にとの思いで復活したと言う。雨上がりの濡れた朝顔も美しい句。
五月雨やしんと鎮まる午前二時
れいこ
五月雨は大雨と言うより小雨が降り止みして続くので、昼も薄暗いし心も沈む。また草木も茂り、山国などでは山の深さを増す思いがします。まして午前二時は、真夜中で宵闇も何か濡れて重く鎮まる思いがして、過疎化の故郷の山家を彷彿する句でもあります。
五月雨朝靄こもる下津浜
みく
鹿島灘は親潮と黒潮の合う所で靄(もや)も立ち易いし、五月雨の頃は鹿島神宮の森も靄が漂う。また下津の浜に散歩して、靄の籠る中に波音を聞くのも風情がある句です。
五月雨の雫の伝ふ細石
ひろ
細石(さざれいし)は君が代に歌われていますが、鹿島神宮の鹿園の隅にもある。石灰石が風雨で溶解し、粘着力の強い乳状液が小石に疑結して岩となる様を歌にしたもので、岐阜県揖斐川(いびがわ)町のが本物とか。岩を伝う雨雫も美しい岩となる年月の遠くを思う句です。
五月雨に相合傘の老夫婦
しげ
相合傘は若いカップルが似合うが、老夫婦の仲むつましいのも微笑ましい。現代は離婚も多いが、長年連れ添い遂げるのも夫婦と言うもの、雨の中にも明るい句です。
五月雨やそっと寄り添ふ傘の中
こば
これは若いカップルか、東京などに行くと良く見掛ける景だが、今は結婚年齢も高く社会問題でもあります、この詠のカップルも結ばれることを祈る句でもあります。
五月雨の後の涼やかボランティア
けいり
五月雨が続いていたが、今日は朝から晴れて清々しい。何のボランティアだろうか、外での仕事なら花植えかも、奉仕と言うのも心が晴れ晴れする句です。
死と言ふは何時も突然燕子花
ゆたか
この詠の訃報は遠方かあるいは事故などかも、身近の人なら病状も知れる。又そうであっても死亡の日時は誰にも判らない、今では突然に携帯電話などで訃報は来る。齢を重ねると死と言うも又、それ故今を大事に生きると言う事も切実に思う。燕子花(かきつばた)の紫もしみじみした句でもあります。