2017年4月の句
彼岸
影を踏み砂利踏み詣づ彼岸寺
しげ
彼岸は太陽が真東から真西に沈みその彼方に極楽浄土があるとされる仏教の思想。波羅密、日願のことでもある。日本では806年に始めて彼岸会が行われたとも。その彼岸会の寺へ詣でる、人出の影を踏むに晴れた彼岸日和を思う句です。また、ぼたん餅、おはぎはその頃に咲く牡丹、秋の萩の花から名付けたとも。
行けぬ墓前お祈りのみの彼岸かな
みく
日本の仏教は宣化帝または欽明帝の時代に(538、552年)百済から伝わり、聖徳太子等の努力により布教がなった。ことに江戸時代に寺請制度が発布され人は何処かの寺に所属し、墓も設け彼岸などにはお参りするのが定着したが、現代では個々の事情や田舎の過疎で寺も墓も放置されるのが多い。先祖を供養することは、老いての自分への功徳でもある。しみじみした哀れを込めた句です。
筑波嶺の膨るる気配入り彼岸
ゆたか
筑波山は古来歌会の山としても名高く、今風に言えば合婚の場所でもあろうか、また筑波は昔に紀の国と言ったが、崇神帝の御代に筑箪の命が国造として都より派遣され、後の世にも我が名を残したいと思い、筑波と名付けたと常陸風土記に記されている。暑さ寒さも彼岸までと言うが、筑波の嶺も膨らむ様に見えて、いよいよ春を思う句です。
手を合わす彩り多き彼岸供花
こば
墓前か或いは仏前か、彼岸のお参りに供花をするが、秋と比べれば花も多く色も明るい、それが春の彼岸でもあり、この頃から春らしくなる。仏事は淋しいが、春の花がそれを慰めてくれる句でもあります。
彼岸寺母への想ひあふれけり
れいこ
原句には季語が無いので入れましたが、これで亡母の墓のある寺に詣でて墓前で母を偲ぶ詠になります。現代では彼岸でも墓参りは難しいですが、故郷の寺や墓に詣でるのも人生を顧みる好機になります。
お彼岸や懐かし母の草だんご
あべ
彼岸の頃には蓬(よもぎ)が生えて私の子供の頃にも母や祖母が団子を作ってくれましたが、手伝いに蓬を摘んだのも懐かしい。今では彼岸になるとコンビニでも牡丹餅や彼岸団子を売る。句の作者もその母を偲ぶ句です。
見守って彼岸にお香あげるから
ゆめ
普段は墓が近くにある人でないと参れないが、帰省や彼岸には日本中で墓参りが行われる。先祖を敬うことは、巡って自分の幸せにも繫がる。亡父母に願いを込めての墓参の句です。
故郷を遠くに一人鬼は外
トモユキ
現代社会は核家族化や都会へ出て就職するのが多く、独り住いで節分を迎える人もある。都会は賑やかな面が強調されるが、案外に隣近所の付き合いも無く寂しい。節分は春を迎える行事だが、この句は哀れも誘う思いです。