2017年2月の句
節分
小さき手に握る福豆節分会
ひろ
節分は春夏秋冬の境にありますが、冬から春になる二月が雪国の人達になどには特別に待たれる。また季節の変わり目は体調など崩れ易いので邪気を祓う意で平安時代中国から伝わり、始めは宮中で大晦日に行われたが、今の様に一般化したとも。子供が小さい手に豆を撒くのも微笑ましい景の句です。
図らずも出でし裏声鬼やらひ
あべ
裏声は普段の声でなく少し低音で変わった声や、如何にも豆まきの神主などになったつもりの声。俳優さんがテレビ朗読などをするとその役に成りきって読むので実感がわきます。豆まきに思わず誰かになった思いの声を出したのだ。俳諧の面白い句です。
春立つや我にも欲しきドローンの目
ゆたか
ドローンは超小型ヘリコブターでもあり、近年は撮影と物の運搬に利用される。ことに画面を即時送信出来るので、災害地や橋の点検などに利用されカメラの威力を見る。立春を迎えて暖かい日はドローンの様になって空を飛び野や山を自由に見た思いになる。面白い句です。
豆撒くや吾にも今年の福の来よ
ゆうこ
節分の豆撒きは昔から豆に邪気を祓う力が秘められている謂れから行われる。また豆は元気にとの意もあり、少し駄洒落的な意もあります。豆撒きをして今年の幸を祈る慎ましい思いの句です。
節分や豆に暮らせと母の声
こば
豆とマメで駄洒落的ではありますが、豆撒きをして国の母を思い出しているのかも。現代は核家族化で郷を遠くに暮らすのが多い、母の声も懐かしい句です。
節分や鬼の真似して我が子追ふ
みく
豆撒きの鬼の役目は父か母が多い。私も父が戦死したので祖父や母が鬼の代役をしたのが懐かしく、また父のある家庭が羨ましく思えた子の日を思う句です。
節分や幾年住みぬ鹿島の地
しま
節分は主に春への思いを込めたもので、他にも花見や進学、入社など明るい希望があります。その節分を迎えてこの地にもう何年暮らしたのか、省みる共に何か決意の句にも思えます。私も鹿島転勤後五十年を思います。
鹿島宮豆撒き子等と遠く見む
おの
神宮の豆撒きは昼と夜に行われ大勢の人出で賑わうが、豆などを拾う時は子供や年寄りには危ない。私も若い頃、二度ばかり参り豆を拾うに苦労しました。子供と遠く見るに実感のある句です。
節分や親父酒飲み赤鬼ぞ
しげ
節分の鬼は赤と青色が一般だが、他に黄、緑、黒がある。それは仏教の五つの煩悩を表し修行の邪魔をするので、豆を撒いて祓う意味とのこと。酒で赤鬼となり、子達に豆を打たれるのかも。因みに赤は貧欲、青は憎しみ、黄は浮情、黒は疑いを表す。
麦の芽や七十歳の背を伸ばす
ゆたか
麦は十月頃撒くが寒い中芽を出す。そして株を増やすために麦踏をする。子供の頃手伝いをしたのが懐かしい。その麦の芽の伸びた畑の近くを散歩しながら、老いた自分も背を伸ばす。芽の青さと共に明るい句です。