2016年10月の句
鹿
立札に鹿島の鹿の由緒かな
ゆたか
その昔、天照大神の使者として天迦久神(あめのかくのかみ)が鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)と香取の経津主神(ふつぬしのかみ)の所へ来られ、出雲の国譲りの交渉へ行くよう命じられた。その天迦久神は鹿の神霊であったので鹿島神宮では今も神鹿を飼い、以前は香島と言ったが、この時より鹿島と字を改めた。また称徳帝の七六七年平城京鎮護の為、武甕槌命は白鹿に乗って鹿島を発たれたので、春日大社には今も鹿が飼われている。それらの由緒を偲ぶ句です。
母恋し小鹿ら暮れの山に鳴く
あべ
鹿に限らず犬も猫も子供の頃は親を頼る。自然界では少しの油断が命取りになるので親も気遣う。動物園での親子の仕草に心を癒されるが、夕暮れの山に鳴く鹿には特別な哀調を思い、日頃の報道の子供の事件を哀しく思う句です。
恋なれば乙にすまして居れぬ鹿
しげ
鹿の恋は秋で故に季語になっていますが、雌を求めて鳴く声は哀調を帯びる。日頃は少しすました姿で公園などに居ますが、この時期は雄は喧嘩をし怪我もする。人の世も似たる思いがしますが、動物の世界は厳しく哀れを思う句です。
さざれ石鹿は見つむる何思ふ
ひろ
鹿島神宮の鹿園のすぐ横にさざれ石が展示されている。「石灰質角礫岩」で高さ二メートル弱の小石の石塊、君が代の歌詞で知られ人ならば諸々に思うが、見つめる鹿は何を思うのか。これも現場を見た実感の句です。
鹿ほどにのんびり生きてみたきかな
くま
鹿園の鹿達が秋の日和に寝たり餌を食べたり、小鹿とじゃれたりする姿は微笑ましい。人の世は有史以来戦争や自然災害、経済競争など苦難が多い。実感の切実の句ですが、動物も自然界では同じ、塀の中の鹿も自由は無い。生きると言うのは多難のこと、故に人には多くの娯楽もあります。
生れ落ち早やも立ちたる子鹿かな
めい
動物園などで生れる鹿などは何かと保護されるが、自然界では出来るだけ早く独り立ちしないと外敵の餌食になる。人類もその歴史を経て今がありますが、見ていると健気に思う哀憐の句でもあります。
もののふの兜に飾る鹿の角
ひろ
もののふは武士、物部のことで、むかしは鎧兜に身を固めて戦をした。その兜には飾りや武威を表す鹿の角や三日月、矢などを付けた。真田家など名高く、今はJリーグ鹿島アントラーズも名を使う。面白い句です。
月光に輝きゐたる鹿の角
ゆき
角伐りのしていない鹿の角は枯れ枝の様に伸び、先端は白く尖る。夕月に照らされる雄鹿の様は何か威厳も思う。秋は恋の季節で老鹿も雌を求めて恋鳴く声は哀れを思い、月光も神々しい景を彷彿する句です。
鹿の角いずれが立派比べっこ
みく
牡鹿は生れて一年くらいから角が生え、冬に落ち、春にまた生えるが、歳毎に枝のある立派な角が生える。角が大きなほど大鹿とも言え、リーダーでもあるのだ。哀憐の句です。