2016年5月の句
耕す
耕して耕して父逝きにけり
あべ
昭和四十年頃までは長男が農家を継ぎ、田畑や山林を守る風土が確かであったが、狭い耕地の多い地方では経済的にも苦しく過疎化が進む現状でもあります。それでも老いた者は都会の生活や仕事にもなじめず、狭いながらも田畑を耕して生きる。私の祖父母や母、また同級生も同様に故郷で耕し続けてきたことを思うと、胸熱くなる句でもあります。
耕人に近寄り鍬の音を聞く
もと
今では小形耕耘機が発達して鍬で耕すのは少ないが、それでも家の近くの門畑や家庭菜園などでは鍬を使う。その畑を打つ人に近づいて鍬の音を聞くのも、句の作者も農家の経験があるのかも。旅やこの鹿嶋でも見れる光景だが、里も懐かしく、音を聞くに如実の実感のある句です。
耕すや大地の出臍筑波山
ゆたか
筑波山は関東の名山で歌会の山としても古来から名高い。この鹿嶋からも広い田畑に遠く浮ぶ様に見える、また利根川や霞ヶ浦沿いの広大な田圃(たんぼ)も代田の頃は湖を広げた様でもあり、遠くに見える筑波山は出臍(でべそ)の様でもあります。私に「湖の雲も汲み上げ田植え水」があり懐かしい句です。
豊作を祈り耕す作業隊
ひろ
昔は集落共同で耕しから稲刈りまでをしましたが、今では機械化が進んだので家族や団体で耕しなどもやる、この詠は潮騒ジョブの耕しか、作業隊と言うのも面白く元気のある明るい句です。
家族でね耕す畑楽しいな
たかこ
今では家庭菜園や観光農園などがあり、都会の人が田舎に少しの田畑を借りて野菜や稲を作る。本来の農業ではないので耕す間も稔りの日を想い楽しい。家族であれば和気合い合いで笑い声も聞こえる様で汗も清々しい句です。
耕すや祖父母昔は開拓団
みく
日本に稲が伝わったのは弥生時代と言われ、その頃から個人も村も田畑の開拓に励んだ。明治時代は北海道、また戦前戦後は食料確保のため日本の各地で大小の開拓が行なわれた。祖父母は何処の開拓団であったのか。故郷や祖父母が思う句です。
雪形の狐の見ゆる甲斐の晴
あお
原句の雪狐は高山の残雪の形ではないかと想い、上の句にして見ました。雪形と言い、種蒔き爺や代掻き馬、など新潟県では百六十の形が見れると言われる。以前に安曇野の旅が懐かしい。
春耕の土の柔らの畝一本
しげ
耕しは冬にも秋にもありますが俳句では春が主で、雪解けの後の柔らかい畑や田を耕す。この詠は畑を耕し畝を盛っているのかも。土が柔らかいので真っ直ぐでなく、少し太く曲りながらも畝が出来る。実感のある懐かしい句です。
コスモスの花壇耕す晴間かな
しま
コスモスは今では観光用に広い畑や野路に植えられまた自然に種が飛んで生えるが、花壇にも植えられて六月から十月頃まで可憐な赤やピンク、白の花を咲かせる。この詠は花の終りの耕しとも思えるが、やはり咲く日を待ちながら耕す方が楽しい。